
1. 読者にとっての意義
前回は、経営に歴史的思考を取り入れる研究プログラムを「Ⅰ.歴史的背景の研究」と「Ⅱ.歴史語りの研究」に大きく分けた上で、前者について説明しました。今回も引き続き「Ⅰ.歴史的背景の研究」を解説し、特にそれが持つ経営の実践に対する意義に関して考えます。
歴史的背景の研究に対しては、「過去の事例の背景を解き明かしても一般性がなく、自分たちには応用できないのでは」という疑問を持つ読者もいると思います。そこで想定されているのは、母集団を代表する標本における分析結果が母集団に応用できると考える、いわゆる統計的一般化の論理でしょう。確かに、歴史的背景の研究に、この論理は内在しません。
したがって、それとは異なる論理で、読者の文脈への応用可能性、つまり実践的意義を提示する必要があります。以下では、二つの意義について、順に説明します。
2. 常識・直感の修正
第一の意義は、アノマリーの歴史的背景を説明することを通じて、読者が素朴に信じがちな因果の図式を修正することです。アノマリーとは、常識や直感では上手く説明できない現象です。ここでの常識や直感とは、広義の理論、つまり私たちが無批判に受け入れる傾向がある思考のパターン(XをすればYになる)だと考えてください。
例えば、多くの現代企業は日常的にノウハウやブランドの構築に勤しみます。それは、それらが業績に資するという常識があるからです。その背後には、そうした「情報資源」は他社に模倣されにくく、競争優位の源泉になるという研究の蓄積があります。
しかし、仮に「ある企業がブランドを構築したら、かえって業績が悪化した」と聞いたら、どうでしょうか。これは一種のアノマリーです。そして、その歴史的背景を知った読者は、それまで素朴に抱いていた常識や直感が常にスムーズに成り立つわけではないことを学べます。その過程で、常識や直感が反省され、修正されます。このようにして、ある現象の歴史的背景の研究が、読者の文脈に応用されるのです。
例えば、筆者が過去に行った斜面補強技術の普及に関する研究では、ある企業が多くの支持者の獲得を意図し、自社技術を「環境にやさしい」と意味づけました。「環境にやさしい製品は支持されやすい」というのは、過去数十年で私たちの社会で常識化してきた考え方の一つでしょう。しかし、その意味付けは安全性を求める地域住民にはあまり共感されないものでした。また、その意味付けに共感した支持者の中には、アクティブな環境保護活動家が含まれていました。こうした人々が行政や地域住民と対立関係を生み出した地域では、かえって技術の採用が妨げられてしまったのです。
この研究は、一般的に信じられてきた「環境にやさしいという意味付けがポジティブな効果を生む」という直感に潜む罠を明らかにしています。こうした罠を知った読者は、自身の文脈において、この点に気を付けることができます。
3. 変革可能性の拡張
第二の意義は、社会的な信念が構築された背景を開示することで、読者の間に健全な批判精神を醸成し、変革の道を切り開くことです。社会的な信念は、私たちの日常に浸透し、自明視されたモノゴト(慣行、制度、職種、境界、序列、基準など)に関わっています。こうしたモノゴトが「なぜそうなっているのか」を良く考えると、経済合理性の論理に頼るだけでは、上手く説明できない場合があります。そして、その歴史的背景を探ると、それが社会的に構築されてきた側面が見えてくることが多いのです。
例えば、第1回でも触れた「株式会社の目的は、株主価値最大化である」という考えと、それに基づく一連の経営慣行は、一時期の日本社会で、あたかも「真実」であるかのような地位を得ている感がありました。しかし、それは絶対的な真実ではなく、ある立場の人々が信じて広めてきたものと見るのが妥当です。このように、あるモノゴトが社会に宣伝され、自明性を帯びていく過程は、その渦中にいると気が付きにくいのですが、実は一般的に見られます。
少し前に筆者は、病院経営に関心を持ち、日本の「准看護師」という職種に関する共同研究を行いました。1990年代、日本看護協会等の運動に触発され、多くのマスコミが、日本の民間病院では准看護師や准看護師を目指す学生が低賃金労働者として酷使されている、と報じました。報道に対する世論の共感や同調もあり、一度は准看護師の養成廃止に限りなく接近したのです。
われわれが着目したのは、「それにもかかわらず、准看護師の存続を主張する日本医師会が押し返し、存続を認めさせた」現象でした。もちろん、実際に行われた政治的働きかけは藪の中です。しかしこの研究では、「批判に晒された日本医師会が、准看護師存続の『正しさ』を社会に向けてどう説明したのか」を問いました。この問いであれば、日本医師会の当時の発言を調査することで、解明することが可能です。
私たちの調査によれば、日本医師会は、准看護師および学生を使用することによるコストダウンの側面には触れず、看護協会側の不明を非難し、労働環境の問題は局所的なものだと主張しました。また、日本の医療を維持してきた医師たちの自己犠牲、過去・現在における准看護師の重要な役割、准看護師がいなくなれば未来の地域医療は維持できないことなどを、繰り返し発信しました。その後、准看護師の存在が社会的に疑問視されることは、ほとんどなかったようです。
こうした研究に触れた読者は、自明視されている経営のモノゴトが、実は特定の立場の人々の手で、歴史の中で構築されてきたものであることに鋭敏になれるでしょう。もちろん、そうしたモノゴトは、一度自明性を帯びると持続性を持ちます。しかし、自然科学の対象に比べれば、はるかに不安定であることは、間違いありません。自明視されたモノゴトの不公正さや、時代遅れに気がつけば、私たちは異議を申し立てることができます。その可能性を認識することが大切です。そうした声が社会的に結びついていくことが、既存の社会や組織の仕組みを一歩ずつ良いものに変えていくことに繋がります。
もちろん、過度に不安定な社会や組織は困りものです。維持していくことが、幅広い人々にとって望ましいモノゴトもあるでしょう。しかし、既存の常識に対する疑問や異議申し立ての可能性が過度に減少した社会や組織は、望ましくありません。社会的な信念が、大きな時代の変化と齟齬をきたすことは、常にあり得るのです。したがって、幅広い人々に変革の可能性が開かれている社会や組織の方が健全であることは確かでしょう。
4. 複雑な経営現象を適切に思考する
近年、シンプルな思考に基づく経営を呼びかける声が人気のようです。確かに、適切な単純化は有用なこともあるでしょう。しかし、その呼びかけが、本来は複雑な経営現象の中から「見えるものだけを見る」「見たいものだけを見る」「分からないから考えない」といった姿勢を引き起こしているとすれば、それは問題です。経営者が歴史的思考を取り入れることは、そうした不健全なシンプル思考を適切に修正していくことに繋がると思います。
次回は、筆者が取り組んでいるもう一つの研究プログラムである「Ⅱ.歴史語りの研究」について解説していきます。(第3回に続く)
本連載は、一橋大学大学院/東北大学大学院の酒井健准教授(2020年度から2023年度まで「経営戦略コース」のグループ指導講師を担当)に執筆いただき、生産性新聞に掲載された記事です。
生産性新聞2024年12月15日号:連載「経営と歴史の交差点」掲載分
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